人にはそれぞれ心に残る言葉というものがある。私はその多くを師リー・ストラスバーグに負っている。
ニューヨークにいる時、私はよく彼の家を訪ねたものだ。いや、家というよりも彼の場合は、10部屋に及ぶ各部屋はもちろん廊下、 台所に至るまで、およそ余地のあるところ全面これ書物で埋まっていて、ビルのワンフロアを占めるかなり大きな住まいがあたかも図書館の書庫を思わせるものだった。

そのうえ、数万点にのぼるレコード、絵画のコレクションを含めると、まさに壮観というべきかもしれない。私たちはその
書物の壁の中で語り合ったものだ。
あるとき――それは私がアクターズ・スタジオに通い始めて間もない冬の夜だったが――彼のお気に入りのヤッシャ・ハイ フェッツのレコードを聞きながら、ひと時を過ごしたことを思い出す。

ハイフェッツのあの消え入るような繊細な、それから一転してダイナミックな旋律が次第に私の心を動かし、ある種の抑えがたい感動を呼び醒ましていた。
窓の外にはウエスト・アヴェニューを隔てて、南北に細長いセントラルパークの低い石塀とその奥 に延々とかすむ木立ちが深い雪に包まれ、水銀燈の淡い光に無幻の姿を浮かび上がらせていた。
きっとそうした光景が、ヴァイオリン協奏曲の色彩を超えたあの透明な世界を深く私に刻みつけたのかもしれない。 ふと私はつぶやいていた。――なんという絶妙なテクニックだろう。

もし、このような絶妙なテクニックを身につけた俳優がいたとしたら、どんなに素晴らしいことか!
――あきらかに私は昂奮していた。するとストラスバーグは笑いながらこう云うのだった。

「その通りだ。しかしゼン!このハイフェッツのように訓練のために惜しみなく時間 を捧げる俳優がいたとしたら、厳しい訓練に喜んで自己を燃焼させることのできる俳優がいたとしたら
――それは一体どんな俳優になるのだろうな」私はおそらく世間の多くの俳優たちと同じように、 あまりにせっかちに結果を求めすぎていたことを思い知らされた。
結果が努力の結晶として、ひとりでに生まれ出てくるという平凡な真理を忘れかけていたのだった。
今私は稽古場で、若い俳優たちと創造活動を続けながら、改めて、あの時の彼の言葉を思い出すのである。